春日牧場の歴史
春日牧場は、明治35年12月1日大阪府より牛乳製造の許可を取得して、飲用牛
乳の製造を開始いたしました。牛乳の製造を行うようになったきっかけは、当然、乳
牛を飼育することとなったことでしょうが、これには当時吹田に大日本ビール(現 朝
日ビール)の工場が建設されたことから始まったようです。
創業、野口家は摂津嶋下郡下穂積村(現、茨木市下穂積)の庄屋の分家として、農
業を営みながら、米の流通に深くかかわり、また大名相手の金融も行っていたようで
ある。そのようなかかわりの中で、野口清吉は地元のレンガ製造会社の役員として、
また金融業として大日本ビールの吹田工場の建築に参加していたようで、それがきっ
かけで、ビール製造後に出るビール粕の処理につながって行ったようです。
ビール粕の処理を相談された清吉は、すぐに牛に食べさせることを考え、野口家に
かかわりのある農家に委託して試してみたところ、非常に良い結果が得られたので、
これを事業にするため、乳牛の飼育と牛乳の製造を思いついたようです。
清吉は牧場とプラントを同じ下穂積村の東の外れであります、下穂積松ヶ本地区
に建設して、当時の衛生監督官庁であります警察当局に営業許可を申請し、明治35
年12月1日に認可され、製造を開始し、販売に至ったようです。
しかし当時としては貴重な牛乳ではありましたが、反面、飲用習慣も今一つであり
資金面の問題でも大変厳しいものがあったようで、約5年後に野口家の財産はすべて
差し押さえられ、松ヶ本町の事業所だけが残されたものとなりました。
ただそれから5年ほどでかなり取り戻したようで、10周年記念の記録が残ってお
りまして、それを見ますと花火を打ち上げ、地元をはじめ、各界の招待者が名を連ね
られておられます。この事業の難しさは昔も今も同じような気がしています。
その後、特別牛乳の販売許可をとるなど、目覚しい躍進をなしとげ地元ではなくて
はならない企業に育って参りましたが、第二次世界大戦の折には企業合同が推し進め
られ、三島郡3工場が統合され三島牛乳組合として高槻市の富田町で製造するように
なりましたが、乳牛の飼養搾乳部門は残されており、戦後直ぐに春日牧場として再開
することが出来ました。
戦後は2代目野口久次郎(清吉娘婿)により、いち早く低温殺菌(63℃30分)を導
入し戦前の高温殺菌(高圧滅菌)から脱却し、牛乳の一般への普及に貢献しました。
さらに昭和40年には120℃2秒間の超高温短時間殺菌(UHT)を用いた近代工場を
建設し、従来の宅配牛乳は勿論のこと、学校給食や病院等の施設など多くの顧客に親
しまれるようになりました
その後、平成7年8月1日に摂津市鳥飼本町へ工場移転、さらに平成15年4月1日
同じ摂津市の岡崎乳業と合併することにより、岡崎乳業が操業していた摂津市鳥飼新
町に工場も一本化し、社名も 株式会社 春日乳業として現在に至っております。